涼宮ハルヒの憂鬱
 平野綾 写真集 で検索をかけて来られる方がいる。うん、平野綾可愛いよね。

 もしかしたら、他にもここに書くに値する(と私が思っている)ような話はいろいろあったかもしれない。しかし、この訓練場におけるその締めとしてあと一つだけ書くことが許されるのなら、という条件で私が選んだのは、なんてことはない、いま日本で一番有名なアニメじゃないか?(笑)今日は「涼宮ハルヒの憂鬱」を取り上げてみる。

 恥ずかしいことかもしれないが、私がこの作品を知ったのは、たかだか去年のことである。それ以前は名前すら知らなかった。そういうアンテナを張っていなかったのだな。事実、ハルヒを知ってから人形や二次元方面への典型的な欲求が誕生したように思う。最初私の目に飛び込んで強く印象に残っているのは、ハルヒの(アニメ版の)絵である。
 第一印象は、「好きな絵ではなかった。」具体的に言うと、ハルヒの目の上にあるツンツンした逆八の字の眉毛がどうにも気に入らなかった。私は本で言えばタイトルや装丁、歌手で言えば声、などと同じように、アニメの善し悪しはまず絵で測る。結果好きになれなかったのでそこで一度情報をシャットアウトした。

 去年のコミケ(コミックマーケットと称される同人誌即売会のこと。)に足を運んで、私に対しもう一度その印象が刻まれる。
 ありすぎるのだ。ハルヒ本が。とりあえず出せば売れる、とでも言うように、そこかしこのサークルの机にこれは置かれていた。ハルヒ本は一冊も買わなかったが、そのとき私は思った。「どういうお話なのだろう。」と。アニメは切り捨てたが原作は小説のようなので、その点で言えばまだ接点を持つ可能性があった。当時見ていたニコニコ(β)にも、もじぴったんの音楽に合わせて彼女たちが踊っている。
「…よく見れば、この無表情な短髪の女の子は可愛いかもしれない。名前は、ええと、長門…?なんと読むのだろう、これは。」
 その半年後、私は小説「涼宮ハルヒの憂鬱」を購入した。この長い躊躇期間は、いま思えば買えば確実にハマるであろうことを予知していたのかもしれない。適当な解釈だが。

 そして、上述のようにハマった。同時にこの可愛い無表情女の子が、実は宇宙人であるという事実も小説によって知らされたが、そんなことでゆきの可愛さがどうにかなるものではなかったので、わたしはさほど衝撃を受けなかった。作品を知っていくうちに、他のキャラクタ、はるひやみくる、キョンや古泉その他もろもろもそれなりに好意を持つようになった。「面白いな、これ。」私はこの作品を知った立場にあって、良いことだと思った。私にはそれなりの審美眼が備わっていることをそれなりに自負している。私が、出会えてよかった、と思えるような作品は、実はこれまで生きてきて十指を数えない。この、「涼宮ハルヒの憂鬱」は、自身において、そうではなかったことになる。要するに、消費的ではないのだな。確実に脳の一部が改変(洗脳とも呼べるかもしれない)させられた。
 新刊、2期の感想はここに書くことはなくなってしまったが、もうしばらくは、このハルヒ世界を堪能していたいと、思う。

 以上を持って、一等空佐ユキの訓練日誌を終わりとする。最後までこの口調、このコンセプトで突っ切ったのもいまとなっては悪くない。(笑)これから私はいわゆるROMになるが、4ヶ月弱に渡り、この訓練場に足を運んでくれた方々に敬意を表し、敬礼。
 お疲れさまでした。

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